おしらせ・トピックス

News

社内報インタビュー vol.2 – 髙木 敏則

2017年07月17日

石川県金沢市を主要拠点に、国内外における様々な分野の制御装置製造を手掛ける株式会社アイデン。同社のSEグループに所属し、部長兼執行役員として技術部門を統括する髙木敏則。新卒で採用された初めての社員として技術畑を突き進んできた髙木がこれまでの歩みと、会社の将来を担う後輩たちに託す思いを語った。

技術の進化と共に自身も進化

「入社した頃は、100坪に満たない広さの土地に木造の社屋があり、従業員は自分を含め15名程度でした」。

前身である池内電機製作所の創業から10年も経たない黎明期である1979年(昭和54年)のことだ。組立部門に配属された髙木は、見るもの触れるもの全てが初めてという中で、何度も先輩に尋ねながら見よう見まねで作業の要領を習得した。

機械装置を代表例に、現在では当然のように普及しているシーケンス制御機器だが、当時の機器は電磁接触器や押釦等で配線する有接点回路が主流で、制作の工程も配線図を見ながらドライバーを片手に電線を切りつつ……という、手作業によるものだった。半年を組立作業に費やし、残りの半年で部品等の資材調達に奔走する。そんな現場経験を積む中で、自然に回路図が読めるようになり、設計として図面引きを任されるなど、髙木は日進月歩の進化を遂げていった。

仕事に向き合う日々の中で信頼を獲得

やがてバブル経済による活況が訪れると受注量も増大した。社屋移転や新工場の増設といった成長を続ける中で、制御機器の設計、配線を中心にこなす髙木の業務も増大する。

「この頃は、やればやるほど成果が上がる、まさに『作れ、作れ!』という時代でした」。

髙木の技術力の向上と連動するかのように、パソコン技術も進化し、電機設計CADなども登場してきた。

そんな技術革新の動きを目の当たりにしながら、「こういう動作を実現したい」という、お客様からの要望の一つひとつに向き合う日々が続いた。板金加工の図面から内部機器の配置図面に至るまでを書き上げ、自ら部品を手配して配線し、現地に入りお客様の立ち会いの元で動作確認を行い調整する、という一連の作業をこなしていった。

もちろん成功ばかりではない。失敗もあったが、個々の仕事に真摯に向き合う姿勢が評価され、「髙木に任せておけば大丈夫!」と言われるまでになった。これまで取引相手の中には、後に大企業の役員になった人物も多く、今でも30年以上の付き合いが続いているという。

グローバル化時代に向けて

「今後はIoT、AI等の案件を推進して、シーメンスのパートナー企業として成長する一助になりたい」と髙木は抱負を述べる。これは会社がこのグローバル化時代に大企業とのつながりを深め、業界で生き抜くための重要な戦略なのである。

「私は『何をしている人か分からない』と、よく言われます」。

髙木は、そう苦笑する。現在はSEとしてプロジェクト毎の制御面を統括する立場のため、活動が人の目に触れる機会は少ない。今後は会社の規模拡大に伴い、社員の分業化・専門化がさらに進み、各人の仕事内容を周囲が把握することはさらに困難になるだろう。

「だからこそ、各社員が自身の手掛けた仕事がどう結実し、社会に役立っているのかを知ることが大切。それがモチベーションの向上に不可欠なのです」と、言葉に力を込める。

自らの仕事に熱い思い

大阪万博記念公園内のNIFREL水族館の仕事で手掛けた水制御装置を目の当たりにした時は、胸が熱くなったという。自動車、電車、工作機械等々、世の人々の生活のさまざまなシーンに、アイデンの製品は幅広く利用されている。自身が関わった装置に出会って感動するという経験を、一人でも多くのスタッフに味わって欲しいと、髙木は願っている。

「製造業とはいえ、サービス業の視点も忘れてはならない」。

これは技術一筋の髙木に刻み込まれた信念である。すぐれたものを作ればいいのではない。設計や製造のすべての力を結集して、お客様の要望に応える装置を提供するというサービス業でもあるからだ。

「プロパー社員1号として、後に続く方達の目標になりたい」と、力強く締め括る髙木。世の技術革新とともに、時代を駆け抜けてきた技術者が牽引する会社の未来に期待したい。